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巨人が最下位、または5位以下に転落した回数について紹介【最後の年はいつ?】

※本ページにはプロモーションが含まれます。

本記事では読売ジャイアンツが最下位、あるいは5位以下になった回数について紹介します。(2023年シーズン終了時点)

✔︎本記事の内容

  • 巨人がレギュラーシーズン最下位になった回数
  • 巨人がレギュラーシーズン5位以下になった回数

巨人がレギュラーシーズン最下位になった回数【最後はいつ?】

巨人が2リーグ制になってからレギュラーシーズンの順位が最下位になってしまった回数は1回のみです。

球団史上唯一の最下位となってしまった年は1975年です。

1975年のセリーグ順位表【巨人最下位】

1975年の読売ジャイアンツは長嶋茂雄監督の1年目のシーズンでした。

✔︎1975年のセリーグ順位表

順位 球団 勝率
優勝 広島東洋カープ 72 47 11 .605
2位 中日ドラゴンズ 69 53 8 .566 4.5
3位 阪神タイガース 68 55 7 .553 6.0
4位 ヤクルトスワローズ 57 64 9 .471 16.0
5位 大洋ホエールズ 51 69 10 .425 21.5
6 読売ジャイアンツ 47 76 7 .382 27.0

巨人は1965年から1973年まで前人未到の9年連続セリーグ制覇&日本シリーズ制覇を果たしていました。

しかしそこからわずか2年で首位に27ゲーム差をつけられて球団創設以来初となる最下位に転落してしまいました。

1975年巨人の基本オーダー

選手名 打席 打率 HR 打点 盗塁
1 柴田勲 517 .262 10 45 24
2 土井正三 442 .264 7 27 4
3 淡口憲治 356 .293 12 42 1
4 王貞治 523 .285 33 96 1
5 末次利光 357 .252 13 46 2
6 ジョンソン 324 .197 13 38 1
7 矢沢正 302 .254 7 34 1
8 河埜和正 280 .227 6 17 3
9 投手
  • 規定打席到達者:3人(王、柴田、土井)
  • 打率3割達成者:0人
  • 二桁本塁打達成者:5人(王、末次、ジョンソン、淡口、柴田)

攻撃陣は長嶋茂雄選手が引退してクリーンナップの一角が欠けてしまったことで大きく攻撃力が低下してしまいました。

主砲の王選手も1975年シーズンは本調子ではなく、前年までの2年連続三冠王から一転、打点王のみ(96打点)という悔しい結果でした。

ホームラン王も阪神の田淵選手に明け渡してしまったので、王選手の連続ホームラン王記録は13年連続でストップしてしまいました。

1975年巨人の規定投球回到達者

選手名 S 奪三振 防御率
堀内恒夫 10 18 0 213.2 118 3.79
横山忠夫 8 7 0 140.1 73 3.41
  • 二桁勝利達成者:1人(堀内)

エースの堀内選手がチーム唯一の二桁勝利に到達したものの敗戦数はリーグ最多の18となってしまいました。

巨人がレギュラーシーズン5位以下になった回数

巨人が2リーグ制以降に5位以下に転落した回数は合計3回です。

  • 1975年:6位
  • 1979年:5位
  • 2005年:5位

70年以上のプロ野球の歴史の中で5位以下に転落した回数がたったの3回というのは誇るべき記録ですね。

1979年のセリーグ順位表【巨人5位】

1979年の読売ジャイアンツは長嶋茂雄監督の5年目のシーズンでした。

球団 勝率
優勝 広島東洋カープ 67 50 13 .573
2位 横浜大洋ホエールズ 59 54 17 .522 6.0
3位 中日ドラゴンズ 59 57 14 .509 7.5
4位 阪神タイガース 61 60 9 .504 8.0
5 読売ジャイアンツ 58 62 10 .483 10.5
6位 ヤクルトスワローズ 48 69 13 .410 19.0

このシーズンの巨人は6月まで横浜大洋、中日と優勝争いを演じたもののその後に失速、結果的に借金4の5位でシーズンを終えました。

2005年のセリーグ順位表【巨人5位】

2005年の読売ジャイアンツは堀内恒夫監督の2年目のシーズンでした。

球団 勝率
優勝 阪神タイガース 87 54 5 .617
2位 中日ドラゴンズ 79 66 1 .545 10
3位 横浜ベイスターズ 69 70 7 .496 17
4位 ヤクルトスワローズ 71 73 2 .493 17.5
5 読売ジャイアンツ 62 80 4 .437 25.5
6位 広島東洋カープ 58 84 4 .408 29.5

このシーズンは開幕直後からリーグ最下位に低迷、最終的に広島を追い抜いたものの5位でシーズンを終えました。

チーム本塁打数は186本でリーグ1位であったものの、ローズ選手、清原和博選手、高橋由伸選手が故障離脱してしまい攻撃力が低下していました。

投手陣も崩壊してしまいチーム防御率は4.80で当然リーグ最下位の数字でした。

2005年シーズン終了後に原辰徳さんが3年ぶりに巨人の監督に復帰しました。

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