こんにちは。
サチェルペイジって誰のこと?アメリカでの成績やエピソードについて教えてほしい
今回は上記のような疑問を解決していきます
サチェルペイジは日本国内では無名の選手ですが、実は野球歴史上最高の投手と称されているレジェンド選手です。
✔︎本記事の内容
- サチェルペイジの基本情報
- サチェルペイジのキャリアと成績
- サチェルペイジの伝説エピソードを一挙紹介
ぜひ最後まで読んでみてください。
サチェルペイジは史上最高の投手の一人
基本情報
- 本名:リロイ・ロバート・ペイジ
- 誕生日:1906年7月7日
- 出生地:アメリカ アラバマ州モービル
- 利き腕:右投右打
- 守備位置:投手
サチェルペイジは野球の歴史上最高の投手のひとりと言われている選手です。
1920年代から1950年代までニグロリーグ(アフリカ系アメリカ人を中心としたリーグ)とメジャーリーグでプレーしました。
特にニグロリーグでのカリスマ性はメジャーリーグのベーブルースに匹敵すると称されています。
サチェルは貧しい家庭で育ち、両肩にたくさんの肩掛けかばん(サッチェルバッグ)をかけて荷物を運ぶ仕事をしていたため「サチェル」と呼ばれていたそうです。
たくさんの逸話や伝説を残している選手なので本記事で綴っていきます!
サチェルペイジのキャリア
サチェルの野球キャリアは次のようになっています。
- ニグロリーグ時代:1924年(17歳)-1947年(41歳)
- メジャーリーグ時代:1948年(42歳)-1953年(47歳), 1965年(59歳), 1970年(63歳)
- マイナーリーグ時代:1954年(50歳)-1964年(58歳)
※生年に異説あり
ニグロリーグ・メジャーリーグ・マイナーリーグ時代の3つに大きく分類できます。
ニグロリーグで長くプレーした後に史上最高齢新人投手としてクリーブランド・インディアンスに入団しました。
プロ野球選手は40代までに引退するのが一般的な中で、サチェルは50代後半まで現役選手としてプレーしているのが驚異的ですね。
サチェルペイジの成績【通算2000勝も】
上手投げ、横手投げ、下手投げどこからでも投球できたサチェルの成績を紹介します。
ニグロリーグ時代
ニグロリーグでは公式記録が残っていません。
- 登板…約2500試合
- 勝利…2000勝以上
- 完封勝利…350以上
- ノーヒットノーラン…55試合以上
にわかには信じがたい成績ですがニグロリーグで圧倒的な投球をしていたことに間違いなさそうです。
メジャーリーグ時代
メジャーリーグ時代は公式記録が残っているので紹介します。
年度 | チーム | 登板 | 勝利 | 敗戦 | 投球回 | 奪三振 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1948 | インディアンス | 21 | 6 | 1 | 72.2 | 43 | 2.48 |
1949 | インディアンス | 31 | 4 | 7 | 83.0 | 54 | 3.04 |
1951 | カージナルス | 23 | 3 | 4 | 62.0 | 48 | 4.79 |
1952 | カージナルス | 46 | 12 | 10 | 138.0 | 91 | 3.07 |
1953 | カージナルス | 57 | 3 | 9 | 117.1 | 51 | 3.07 |
1965 | アスレチックス | 1 | 0 | 0 | 3.0 | 1 | 0.00 |
通算 | 179 | 28 | 31 | 476.0 | 288 | 3.29 |
サチェルペイジの伝説エピソード
サチェルの伝説エピソードを紹介します。
箇条書きでズラッと記述します!
- 最速160km/h以上を投げる速球王ボブ・フェラーが「サチェルの投げるボールがファストボールなら俺の投げるボールはチェンジアップ」と発言
- ペイジとノーランライアンの両者のボールを受けた捕手は「ペイジの球速は179km/hくらいではないか」とコメント
- 投球練習する際にホームベースの上に置いた煙草の箱の上をボールが通過するほどのコントロール
- 全打者三振になりそうな試合で最後のバッターが振り逃げになり、結果的に28者連続三振になった
- 9回裏にわざとランナーをためて無死満塁にしたあと、守備陣を全員ベンチに帰らせてバッターと勝負した
- 「今から9人連続三振を取る」と宣言して見事達成
- 野手全員をマウンドに周りに座らせて自分のピッチングを披露する
- メジャーリーグ選抜との交流戦で22奪三振完封勝利を挙げる(1930年)
- ベンチからサチェルの投球を見ていたベーブルースの顔が青ざめていった
- ニグロリーグ105試合で104勝(1934年)
- カージナルス(ワールドシリーズ覇者)vs黒人リーグ選抜の9試合でカージナルスに2勝しか許さず(1934年)
- メジャーで42歳の史上最高齢新人投手として6勝を挙げる(1948年)
- アスレチックスと1試合だけ契約し59歳でメジャー最後の登板を果たし3回無失点、最高齢登板記録を樹立(1965年)
- 黒人リーグから初めての野球殿堂入りを果たす(1981年)
信じられないようなエピソードがたくさんありますが伝説的なプレイヤーだったみたいです!
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